コラム 第1回 2026年1月15日 秋田南高校卒・元祖爆笑王こと高橋裕幸氏
現役の放送作家であり、アドバイザーなど秋田県関連の仕事をしていて東京在住ながら月一は秋田を往復している縁もあり、今回この秋高連のHPに寄稿することになりました。「世界一秋田愛が強い男」としては、とても光栄でし、依頼してくださいました先輩方には感謝の気持ちでいっぱいです。今後毎月1回、私と秋田、県関連の仕事の話を中心に寄稿していきますので、どうぞ、よろしくお願いします。
第1回目ということで、まずは、自己紹介がてら、私が出生してから幼少期のことまでを書きます。
1964年東京オリンピック開催した年に、母方の実家である能代市柳町にある八幡神社、渟城幼稚園で生まれました。祖父が神主、幼稚園を経営、母が幼稚園教諭、父が銀行員の間に長男として生まれました。能代市は過去、木材の街として栄えていたので、近所には料亭などがたくさんあり柳町は繁華街としても有名でした。現在も「金勇」は秋田杉の良材を有効活用した雄大かつ優雅な造りで、文化と木材加工技術の粋を伝える建物として残っています。私が放送作家になってからも、旅番組やバラエティー番組で企画を出して、金勇で収録し何度か全国に放送したこともあります。
また神社には「逆さ松」という、松の木が逆に生えていていて、葉の部分が地面にありそこから枝、樹木が上に生えて参道に跨った状態になっているのがあります。神主の叔父の話では、「運が悪い人ならここを通れば、運が逆さになって良いことが起きる。」と事でした。私はそれをまた企画にして、「秋田のパワースポット紹介番組」を作りました。パワースポットに詳しい占い芸人の島田秀平くんと一緒にロケをしました紹介しました。その番組を視て神社を訪れる人が多くなったそうです。やはりテレビ番組の影響は強いです。
そんな能代市も今や、人口減少、過疎化が進み、栄えていた柳町商店街はシャッター街になりました。寂しい話です。私は、今現在、「能代を何とか再復活できないか?」と、「ふるさと観光特使」として協力しております。
そして、私は生まれてそのまま渟城幼稚園に入園、能代に住むのかと思いきや、父の職場(銀行)の転勤が決まり、鹿角郡毛馬内町(現鹿角市十和田毛馬内)に住むことになったのです。社宅でしたが、お風呂がありませんでしたので、両親と近くの銭湯に行った記憶もあり、冬は隣の住人の方(風呂付の大きな家)と仲良かったのか、風呂を借りに行ったこともあります。今では考えられませんね。風呂なしの家を探すのが底辺かもしれません。
十和田マリア園を卒園、毛馬内小学校へ入学、友達も増え、遠足なども十和田湖や八幡平、に行ったり、毛馬内盆踊りを体験したりと思い出をたくさん作りました。
放送作家になってから、旅番組でタレントの壇蜜さんと鹿角市にロケに行きましたが、やはり街全体がまったく変わっていました。街全体が小さくも感じました。それは、そうですよね、私自身体も大きくなってますし、十和田湖なども意外と小さく感じました。
その後、毛馬内小学校で4年生に進級しようとした春にまた転勤が決まり、引っ越しするこになったのです。人生で二回目だったかもしれませんが、友達と離れ離れになるのが、かなりつらかったです。みんなと別れの日、「転校したくない、一人でここに残る!」と泣きながら、言い張っていました。今でも記憶に残っています。
家族と一緒に秋田市へと引っ越ししました。ワクワクドキドキの秋田市での生活が始まります。この続きは次号で・・
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元祖爆笑王(本名・高橋裕幸)1964年11月4日生 能代市柳町出身・秋田南高校、日本大学芸術学部卒業 大学時代に放送作家デビュー 「めちゃイケ」「オールナイトニッポン」など 数々の番組を企画し、プロデューサー コメンテーター・ラジオパーソナリティーとしても活躍 大学・専門学校で講師・教育顧問も兼任 秋田県PRメディアプロデューサー 秋田市観光PRアドバイザー、能代ふるさと観光特使 男鹿市観光大使、潟上市ふるさと応援大使、 美郷町ふるさと大使、横手市応援団第1号 |

能代市柳町 八幡神社の「逆さ松」
壇蜜さんとロケ(鹿角市、尾去沢鉱山))

壇蜜さんとロケ(鹿角市 民俗資料館)

壇蜜さんとロケ(鹿角市 幸楽ホルモン)






