10月25日(金) 秋高連2019秋の交流ミニハイクの報告 10月25日(金)、温帯低気圧に変わった台風20号の影響で降りしきる大雨の中で14校の同窓会41名の参加を得て、秋のミニハイクは挙行されました。 今回は、ハチ公没後80年を記念し2015年3月8日に東京大学農学部構内に設立さ れた「ハチ公と上野英三郎博士像」を訪ね、併せて東大周辺の文化と文学の街、本郷界隈を散策するスケジュールでした。
ハチ公と上野博士の銅像の設立にあたり寄付活動に尽力されたのが、元会長の友成穂秀氏と現会長代理の鈴木猛氏でした。当日の集合場所の「東大農学資料館」では、望月久会長の挨拶の後、友成氏から上野博士とハチ公に纏わるいくつかの話が紹介されました 。「ハチの名前の由来は前足が正面からみたとき、数字の八に見えたから」とか「博士は常にビスケットをポケットに入れて居ました。(ビスケットの絆)」とか、いずれも友成穂秀氏に宛てた上野博士のお孫さんの上野一人氏からの手紙によるものです。
ミニハイクのスタートは、主人に飛びついているハチ公の銅像前での記念撮影で、東大構内をボランティアガイドさんの説明を聞きながら練り歩きましたが、傘も用をなさないほどの大雨に、予定していた「樋口一葉・桜木の宿」や「石川啄木住居跡」などは断念、交流会の会場となる機山館へ直行とあいなりました。
この機山館は、以前は修学旅行の宿泊のための旅館だったということで、一行はそれぞれ、中学や高校時代を思い起こしていました。交流会は、ゲストとして参加下さった羽後町出身のオペラ作曲家、仙道作三氏の講演で幕を開けました。樋口一葉に関するテーマで、「第21代秋田県知事は、一葉の許嫁だった」など興味深い話が聞けました。 総会で県民歌の指揮をお願いしている上山紀子氏の乾杯の音頭で始まった宴は、大雨のおかげで時間もたっぷりで盛り上がり、最後は「ハチ公八本締め」でお開きとなりました。
それにしても、大雨どこ吹く風とばかりに、決行を決意した武内暁文体部長と、ドタキャンもせず駆けつけた皆さんに衷心より敬意を表します。
栗盛信太郎(運営委員/大舘鳳鳴)
10月25日(金) 秋高連2019秋の交流ミニハイクの報告
10月25日(金)、温帯低気圧に変わった台風20号の影響で降りしきる大雨の中で14校の同窓会41名の参加を得て、秋のミニハイクは挙行されました。
今回は、ハチ公没後80年を記念し2015年3月8日に東京大学農学部構内に設立さ れた「ハチ公と上野英三郎博士像」を訪ね、併せて東大周辺の文化と文学の街、本郷界隈を散策するスケジュールでした。
ハチ公と上野博士の銅像の設立にあたり寄付活動に尽力されたのが、元会長の友成穂秀氏と現会長代理の鈴木猛氏でした。当日の集合場所の「東大農学資料館」では、望月久会長の挨拶の後、友成氏から上野博士とハチ公に纏わるいくつかの話が紹介されました 。「ハチの名前の由来は前足が正面からみたとき、数字の八に見えたから」とか「博士は常にビスケットをポケットに入れて居ました。(ビスケットの絆)」とか、いずれも友成穂秀氏に宛てた上野博士のお孫さんの上野一人氏からの手紙によるものです。
ミニハイクのスタートは、主人に飛びついているハチ公の銅像前での記念撮影で、東大構内をボランティアガイドさんの説明を聞きながら練り歩きましたが、傘も用をなさないほどの大雨に、予定していた「樋口一葉・桜木の宿」や「石川啄木住居跡」などは断念、交流会の会場となる機山館へ直行とあいなりました。
この機山館は、以前は修学旅行の宿泊のための旅館だったということで、一行はそれぞれ、中学や高校時代を思い起こしていました。交流会は、ゲストとして参加下さった羽後町出身のオペラ作曲家、仙道作三氏の講演で幕を開けました。樋口一葉に関するテーマで、「第21代秋田県知事は、一葉の許嫁だった」など興味深い話が聞けました。
総会で県民歌の指揮をお願いしている上山紀子氏の乾杯の音頭で始まった宴は、大雨のおかげで時間もたっぷりで盛り上がり、最後は「ハチ公八本締め」でお開きとなりました。
それにしても、大雨どこ吹く風とばかりに、決行を決意した武内暁文体部長と、ドタキャンもせず駆けつけた皆さんに衷心より敬意を表します。
栗盛信太郎(運営委員/大舘鳳鳴)
出発前、友成顧問の講話
いざ出発
しばし雨宿り
ハチ公と上野博士像
仙道氏の講話
交流会